
あ、糸崎さんが制作した虫の目レンズが紹介されています。
一眼レフ用にこの手のレンズを組む事は、フランジバック等の問題から色んな「壁」があるんです。
僕が初めて作った「デッチアゲレンズ(接写用広角レンズ)」も、色んな罠?
を乗り越えてきたワケですが、レンズ径が小さく、フランジバックの短いコンパクトデジの出現は、
この手の表現を身近にしました。
GARELLYにある「カタスミ」撮ったレンズですわ。
...などと余裕かましている場合ではありませんね。私は(爆)次へ次へ(汗)
それはさておき、今月の日本カメラ、面白い記事が掲載されていました。
「写真コンテストは面白い!」
審査する側の本音の部分が読み取れる部分が多く、別の見方をすればコンテストの裏側とも取れます。
ここに紹介されている事柄...過剰なコンテスト対策、または、数打てば当たる的発想の問題点は、
別に写真だけに関する事ではなく、他のコンテストにも通じる部分だと思います。
過剰なコンテスト対策は、お受験対策とあまり変わらんような気も...。
コンテストで受賞すれば、賞金を手にする事も出来る限り、こうした流れは出てきてしまう。
ただ「お金の話」をするのは「いやらしい話」ではないと思います。
この部分をすべてカットすると、新しい表現の妨げになりかねないから。
ま、加減です。
問題は、数打てば当たる的なもの。
こうした人が増えてきていると思います。
クリエイティブな作業に憧れつつ、自分が何をしたいか、何を伝えたいかを持たない人。
ぶっちゃけると「消去法」で表現活動を選んでいる人。
さらに、ぶっちゃげると僕もそうした部分があるので、他人の作品を見聞きして
そうした「消去法的」な部分を感じ取ってしままう時があります。
キャンバスに穴を開けただけでも作品になり得るし、構想10年かけても、どれだけ経費をかけても
何にもならんケースもあります。
僕が言っても説得力ないけれど、表現なり発信する側はシッカリ選び・考える時期(時代)にあると思います。
ややこしい文章はこのへんで。要は、
何のために?です。以上。
この雑誌のコンテスト。
極個人的なお気に入りは、P296の 「夕ぐれ」。
綺麗やから。
そうそう。モノクロプリントを総評している金村さんのコメント、おもろいですね。
「今時この時代に〜」「貧乏なSMという〜」「まるでいきいきしていない」「ちょっとグルという感じが〜」
これじゃ作品を食ってしまうやん(爆)
今後、目が離せない。